ギターワンポイントレッスン
♪上達への近道となりますように♪
 4.12.30   100∮エピローグ
◆いよいよ100回目になりました。まだまだ続けたい思いはあるのですが、ここで一段落し、しばらくお休みしようと思います。
 
このギターワンポイントレッスンは、自分もそうでしたが、ギターを練習していて分からないことだらけで、相談する人もなく、レッスンを受けていても悩むことがたびたびで、そんな時に何か役に立つものはないだろうかとの思いからはじめたものでした。
 
一通りのことは取り上げたので、次に何をすれば良いか整理がつけば、また再開しようと思います。
 
世界的な指揮者、故カラヤン巨匠でさえ、当時のインタビューに答えて「ときどきどうして今までこのことに気づかなかったのか?と思うような発見をすることがあります」と。
 
何年も前の話ですが、あのような巨匠ですら、しかもかなり晩年になられてなお、大発見があるなんて!未熟な私はまだまだ勉強することがいっぱいだと、改めてそのことが思い出されます。
 
何事も日々努力と研磨あるのみですから、謙虚にこれからも努力してゆこうと思っています。
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音楽は奥が深く私ごときがおこがましく奥義を云々するつもりはありません。悩みながらギターを続けてきた一先輩の意見として参考にしていただければ幸いです。
 
今日まで長い間お読みいただきありがとうございました。機会があればまたネットでお会いしましょう。

 4.11.28   99∮日本人のビート感覚Ⅱ
◆聴衆が演奏に合わせて手拍子を打つとき、日本の観客は殆どが頭打ちをして裏打ちをしていません。もちろん曲のジャンルにもよりますが、リズミカルな曲なのに裏打ちをしていないのです。
 
いつだったか、歌手の森進一さんが代表を努める「じゃがいもの会」ボランティアコンサートで、こにしきさん一人が裏打ちで手拍子しているのを見たことがあります。
 
手拍子は裏打ちでなければならないと言っているのではないのです。裏打ちが感じられないと、リズムが重くなり、ノリの良い軽やかな演奏が出来ないのでは?と言いたいのです。
 
NHKの「のど自慢」で出番以外の人たちはバックでリズムをとっています。両手を胸のあたりで開き、左右に揺らしてペンライトを揺らすようにしていますが、左右それぞれで一時停止しています。あるいは船の櫓をこぐような仕草をして、これまた引いてきた両手は胸のあたりで一時停止しています。
 
演奏のノリが何故か重く感じて、プロの演奏と何処が違うのだろうと悩まれるときは、この問題を研究されたらいかがでしょうか。

 4.11.1   98∮日本人のビート感覚
◆ある人から聞いた話なのですが、音楽の話で、「一拍を手で打ってください」と言ったとき、日本人はカシワデ(神社で行う拍手)になる。しかし外国人は指揮者が棒を振るように縦にポンと叩く。と言うのです。
 
これは私の個人的見解ですが、日本人のビート感は【カシワデ】なのです。広辞苑では拍手と書いてカシワデと読みますが、左右に開いた両手をポンと叩き、そこで止まります。跳ね返る感覚は無いのです。
 
仏教では音を出さずに静かにあわせますが、日本人の生活習慣の中では、手を打ったとき、あるいは合わせたとき手は必ず止めているのです。
 
拍手(ハクシュ)も、カシワデも同じ漢字で表されますが、ハクシュのほうは止まらないで打ち続けます。しかし一拍から四拍程度の短い拍を感じるときは、一回づつ止まる感覚でいるようです。
 
リズムは跳ね返りがあり、止まらないという感覚を身につけると、アップ・ビート(拍の裏側)の表現がよくなり、シンコペーションで悩むことが無くなるでしょう。

 4.10.21   97∮演奏が重いと感じること
◆前回(96)で芸術に関する日本人の感性は素晴らしいと言う話をしました。かねがね思っていたのですが、感性は素晴らしいのに、音楽に関しては、アマチュアの方の殆どの演奏スタイルが重いのです。
 
その曲が技術的に難しいか、否か、あるいはラルゴの曲か、アップ・テンポな曲かにかかわらず、何となく気怠いと言うか、重いのです。
 
一般には、音色、タッチ、強弱、リズムなどの変化を用い、思いの丈を表すのですが、どうしても表現出来ない、何かが違うと感じることがあります。アドバイスする方は何処がどう悪いのか、これは本当に言葉では説明が難しいのです。
 
説明は難しいのですが、どうして重たく感じる演奏になるのか、それは、日本人のビート感にあると感じています。次回考えてみましょう。

 4.10.20   96∮自分の演奏は何故重いのだろう?
◆絵画や彫刻などの美術の世界では、日本人の感性、表現力は優秀で、多くの作品が発表され、そして世界で認められています。
 
音楽の世界でも沢山の作曲家や演奏家が活躍し、誇りに思えるのですが、アマチュアの方々がときどき自分たちの演奏がどうしてこんなに重くて冴えないのだろう?と思われることはありませんか?プロじゃないんだからと言ってしまえばそれまでで、プロでも重くて流れの悪い演奏のときがたまにあります。
 
研究生のころ、プロと音が違うのは当然で仕方ないとしても、何故自分の演奏は軽やかにならないのだろうと随分考え込んだものでした。最近何となくそのわけが分かってきたように思います。松田先生のレッスンを受けて、はじめてそれが理解できるようになったのです。

 4.8.21   95∮感性
◆音楽や絵画で、「優れた感性〜」と言う言葉をよく使います。「感性」とはどういうことでしょう?
 
広辞苑で調べると大変難しく書かれているので、国語辞典から引用しますと、【(1)感受性(2)外界の刺激に対する心の働き】となっています。
 
感性は持って生まれたものと、私は思っているのですが、音楽の場合、まずは胎教として美しい音楽を聴かせることから始めるのが良いのかも知れません。実験でお腹の中の赤ちゃんに、モーツアルトなどを聴かせて、エコーで見てみると、とても気持ちよさそうにしているそうです。
 
今これを見てくださっている方は、ご自身に感性があるとお思いなら両親に感謝を!そしてもう手遅れと思っている方は、二世、三世で是非お試しを!

 4.7.31   94∮表現
◆音楽の表現はとても大切なことですが、 それを文章で表現するのは不可能なことですし、ナンセンスなことだと思います。楽譜など関係なく、音のみで作曲者、そして演奏者の思いの丈を表現するのですから、文章で云々することではないわけです。
 
だからこそ、先生に教わることが必要で(このシリーズをはじめてからずっと言い続けていますが)独学では人の心に響く演奏はこれまた不可能に近いと言って良いでしょう。
 
こんな事を言うと、一生懸命独学で勉強している人に水を差すようですが、自分一人の世界で、自分自身を慰めるための練習なら、他人がとやかく言う必要はないわけですが、もし、誰かに聞いてもらおうと思うなら、表現方法については、あなた自身が尊敬できる先生の指導を仰ぐことをお勧めします。
 
誤解のないように付け加えますが、ポピュラーの世界で、オリジナルなものを演奏する場合や、クラシックの世界でも、希に天才的な音楽家が出現し、どの世界でもそうですが、例外はあります。でもジャンボ宝くじが当たる確率より少ないのでは?

 4.7.7   93∮右手親指(P)の無駄な動き
◆№6の「一番悩む右手親指」で右手P指を取り上げましたので復習してください。
 
右手親指は他のどの指よりも、最も無駄に動きやすい指で、初歩の段階で右手ホームを決めてしまわなければ、永久に思うようなタッチが出来ない、と言っても過言ではないほど大切な指でもあります。
 
右手が思うように動かないのには、はっきりした理由があります。それは、肩、手首、指、すべての力が抜けないからなのです。
 
力が抜けないまま、どちらかと言えば力はあるが動きの鈍いこの親指を、無理に早く動かそうとするので、そこに無駄が生じ悪いタッチとなってしまいます。
 
私はかねがね思っているのですが、親指は左右どちらも文字通り「親」で、この指が主導者だから、親指を自由に操れたら、ギター演奏の悩みはかなり解決されるのではないでしょうか。

 4.6.14   92∮右手の無駄
◆左手の無駄について、まだまだ伝えることはありますが、実際に見ないで細かいことは言えません。そこで今回は右手について少し考えようと思います。
 
右手についても左手同様、実際に見ないで余計なことはいえませんが、一番気になる問題は、弾かなければならない!という思いからくる無駄です。弾こうと思えば思うほど、弦から離れたところからの(おおぶりの)タッチになり、大きな動きとなって無駄が生じます。
 
恩師松田先生は、タッチの瞬間、指は必ず弦の上に置いてからと言われました。指は交互に動かすわけですから、弦の上に置いてから弾こうとするとスピードが落ち、早さを保持するのがとても困難になります。しかし訓練でそれが実行できるようになると、音の切れ味が良くなり冴えた音を出すことができるようになりました。
 
要は動きが大きければ大きいほど無駄があり、スピードも落ち音の冴えも損なわれるということです。

 4.5.10   91∮B7に移るとき
◆№90でコードが変わるときに無駄な動きがある話しをしましたが、特に気になるのはB7に移るときにそれを感じます。
 
B7は三本の指を縦に並べて押さえなければなりません。他のコードとは少し違った指使いになるので肘を張りだして押さえがちで、そのとき親指の位置も変えてしまいます。
 
ホ長調のスリーコード、E・A・B7と進行したとき左手首、親指の位置はほとんど変わらない筈なので、確かめてみましょう。
 
これは一つの例で、これに似たことが沢山あると思います。何度練習しても思うようにいかないときは、どこかに無駄がないか?一度考えてみましょう。

 4.4.18   90∮無駄の根元は親指
◆№5と6でも話しましたが、指は左右どちらも親指が鍵を握っています。
 
前回(№89)で話した、指を直ぐに離してしまう場合は、裏で支える親指の位置、方向が正しいか、しっかり力が入っているかを見極める必要があります。
 
これらが正しく働いていないと、手首の角度、方向が変わってしまいます。良く自己流で練習を重ねた人の中に、コードが変わるたびに手首の角度が違っている人がいます。
 
ロックグリップ(エレキやアコギの方がよく使うグリップで、親指が第6弦から飛び出ている)の方はコードが変わる度に親指の位置と方向が違って当然ですが、わたし個人の考えでは、これは無駄が多いと思っています。
 
クラシックグリップにすれば、バレーコード以外は、親指の位置と方向が変わらず、手首の角度もほぼ一定のはずです。

 4.4.15   89∮何が無駄なのだろう?
◆無駄な動きは右手、左手どちらも考えられますが、始めたばかりの人が、最初に悩むのは左手でしょうか。
 
はじめは指の独立性がないために、それぞれの持ち場に適切に指を置くことが出来なくて(その場所に必要な指を準備することが出来ない)とても大きな動きになります。
 
例えば第二弦のドからレに行くとき、ドを押さえている人差し指を離して、薬指のレの場所に人差し指がくっついて行ってしまうなどです。これはごく初歩的な話しですが、その時に手首の形が変わってしまっていることに気がついていないことが多いのです。
 
同じ事がコードの移動でも言えます。例えばアグアドの有名なアルペジオがありますが、はじめにEmのコードで2小節、低音がミ・ソ・シ・ミ・レ♯・ミ・シ・ソと動きます。そのとき、小指、中指、薬指と順番に押さえタリ離したり(シを押さえる中指は押さえたまま)してゆきますが、2小節が終わった時点で、全部の指をのこしていますか?
 
そして3小節目にAmに移りますが、その時最短距離で指が移動していますか?手首の角度が、全然変わってしまっていませんか? 

 4.4.5   88∮無駄な動き 
◆動きの無駄について話すと膨大な量になり、ワンポイントレッスンではとうてい話しきれない問題です。だからこそ直接レッスンを受ける価値と意味があり、短い文章でどこまで説明できるのか疑問ですが、最も基本的な問題をすこし考えてみようと思います。
 
№2で、「いかに力を抜いて無駄を無くすかが問題」と書きました。この力を抜くができれば、かなりの無駄が省けます。無駄を無くす第一歩は、力を抜くことからはじまります。
 
「力を抜く」については改めて取り上げる予定です。では、無駄な動きとは、具体的にはどういうことを言うのでしょう?はじめたばかりの頃は何が無駄なのか分かりませんし、練習が進んでも自分が無駄な動きをいっぱいしているとは分からないものです。
 
それを指摘するのがレスナーの大事な仕事の一つです。それは、実際に見なければ指摘出来ませんが、これまでの経験で、思いつくことを少しまとめてみようと思います。

 4.3.26   87∮無駄をなくそう 
◆№85で遠回りをしないようにと話しました。№86では遠回りも良いじゃないかといいました。今回は無駄を無くす話をしようとしています。
 
一見、一貫性がないようですが、遠回りも無駄もしない方が良いに決まっています。しかし、遠回りの場合は精神的に満たされる遠回りなら、無駄にはならないわけです。
 
でも、無駄は勿体ないことです。広辞苑で「無駄」を調べたら、「役に立たないこと」とありました。「勿体ない」を調べたら「そのものの値打ちが生かされず、無駄になるのが惜しい」となっていました。
 
この「ワンポイントレッスン」を最初に書こうと思ったのは無駄な練習をしないように・・・と考えたからでした。楽器の練習に無駄は一つもないかも知れません。練習はすればするほど効果は現れます。
 
でも練習のし過ぎで、手や肩、指を痛めたと言う話しはよく耳にします。指を痛めてしまったら、それこそ勿体ない話です。次回は無駄な動きについて考えようと思います。

 4.2.21   86∮月がとっても青いから・・・
◆♪月がとっても青いから遠回りして帰ろう・・・♪という歌謡曲が昔ありました。
 
遠回りしたな〜!と感じたら、綺麗な月を見たかったから、自分は遠回りしたんだと思いましょう。そうすれば子供の頃から、あるいは若いときから出来なかった自分を慰めることができますし、これからの自分を楽しむことが出来ます。
 
楽器上達の最大のポイントは、「ひたすら練習すること」なので、黙々と同じ事を嫌と言うほど練習しなければなりません。その後には必ず良い結果が出てきます。
 
この「嫌というほど練習する」が大人になると、なかなか出来ないのです。ですから子供の時から時間をかければ、大人になって気がつけば上達していたと言うことになるわけです。
 
練習するにあたり、気をつけたい事が一つあります。時間を無駄にしないためには、むやみに練習すれば良いわけでなく、目的ににあった先生を選び、適切なアドバイスを受けることが重要だと思います。

 4.2.20   85∮遠回りをしないために
◆楽器は子供の頃から始めると、沢山の利点がありますが、そんな恵まれた環境にある方はそう多くはないでしょう。
 
しかし子供の心のケアのためには、音楽や絵画のような情緒や感性を培うものを学ぶことがとても大事なことだと思うのです。
 
古代ギリシャ・ローマ時代、優秀な騎士を育てるのに、音楽は教育に不可欠な必須科目だったと聞いています。また日本の有名な武将も能を嗜むなど、心のケアをしていたようです。
 
環境作りは少しの努力で可能になると思うのです。教育の過程で、知と情のバランスをどう取るのか、親の考え方次第ではないでしょうか?そうすれば遠回りせずに最短距離で学ぶことが出来ますから。
 
学問に近道なし」と言いますが何千年も昔はそうであっても今は宇宙に行けるハイテク時代、近道を探したいですよね。

 4.1.24   84∮独学で上達出来るだろうか?
◆前回、前々回と教則本を考え、気づいたのは「〜ギター独習書」と言われる教本がいかにたくさん出回っているかと言うことでした。
 
それだけニーズがあると言うことなのでしょう。でも、独習書でめざましく上達したという話しは殆ど聞かないのです。そこで、独習と、独習書について考えたいと思います。
 
かねがね私は独習はおすすめしていないのですが、理由は簡単です。それは、音楽(楽器)だからです。
 
楽器は、どの楽器も(洋楽器、邦楽器とも)基本的に、独学は難しいのです。例外として、一つの楽器をマスターしたあと、他の楽器を独習書で習得したと言うことは、たまに聞くことがあります。
 
それは、最初の楽器で、音楽の勉強が出来たからだと思うのです。技術的には独習書で習得することは可能ですが、特にクラシック音楽の表現は独学では不可能だと思います。

 3.11.24   83∮カルレバーロ ギター教本
◆話題のカルレバーロギター教本を、最近自分は勿論、生徒のみなさんにも使ってもらっています。それがなかなか良い感触なのです。
 
語学力のある方は解説文を呼んで練習するとより効果的だと思いす。
 
第一巻はスケールですが、今までのスケール練習と違うのは、第二弦と第四弦で、かなりハイポジションに上がるようにしているところだと思います。
 
第二巻の右手の練習では、左手の負担を無くし、右手に集中出来るようにしていることと、右手親指を伴って他の弦と同時に弾く、これがとても効果があるようです。
 
ある生徒さんが、この第二巻を練習した後、ジュリアーニの120のアルペジオを弾くと非常に滑らかに指が動くのには驚きました。

 3.10.13   82∮カルカッシ教則本
◆カルカッシ教則本を使っていて発見したことがあります。教本が進み、練習曲がかなり上手く弾けるようになっているにも拘わらず、他の作曲家の簡単な練習曲が弾けない事があるのです。
 
カルカッシ教本が、教本として不適当と言っているのではありません。それどころか素晴らしい曲が揃っていて、楽しく練習出来ます。しかし、この教本を最後まで仕上げても、他の作曲家の簡単な練習曲が弾けないのです。その意味で、完全ではないと思っています。もともと教則本とはそう言うもので、使いようなのかも知れません。
 
その意味では、いろんな作曲家の練習曲のあるものが、合理的だといえます。最も理想的なのは、時間はかかりますが、一つの教則本をこなした後、いろいろな作曲家の練習曲集を順次仕上げていくことでしょう。
 
著名な先生方は、ご自分で教則本を作成されていますが、どの教則本をどのように使うかは、それを指導する講師に責任があると思います。

 3.10.7   81∮教則本を考える
◆今頃教則本を取り上げるのはいささか時期遅れですが、なぜ今頃になって取り上げたのか、それには理由があります。
 
最近たいへん注目を浴びている「アベル・カルレバーロギター教本」を研究するため、解説部分のスペイン語を、ある友人に翻訳してもらったところ、わたしが以前から重要と思っていたポイントがいくつか指摘されていたからです。
 
著作権問題もあり、詳しくは述べられませんが、教則本選びは、ギターを学ぶ上で、最初にしなければならない、とても重要なことだと思います。
 
教室に通っている方は、先生の推薦された教本を使われるのが上達の近道です。問題は一人で(独学で)勉強しようと思っている方の場合です。
 
私は基本的には独学はお勧め出来ませんが、大人になってからはじめる方は、専門家になる可能性が少ないので、それも許されるかな?と思っています。
 
昔は「カルカッシ教則本」しかありませんでしたが、今は沢山の教則本が出版されています。カルカッシは優れた教本で、ちょうどピアノの「バイエル」と同じように、綺麗な曲が沢山あり、たのしいのですが万人に向いているとは思えません。


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